穂高 [山の思い出]
イワベンケイ
奥穂高岳
これは、私が28歳の時に撮った写真。
穂高連邦縦走。私にとって最高の山歩きだった。
稜線は、崖っぷち。
危なくて、カメラなんか首にかけて歩いていられなかったから写真が少ない。
実は、この頃 父ちゃんと付き合ってたのだが、山の方が良くなって父ちゃん振ったんだ。(^^ゞ
もう行けない所と思っていたのだけれど、最近、私が感動してきたものを子供に伝えたいと思いはじめた。
幼稚園の七夕飾りの短冊に 「かぞくで やまのぼりが できるようになりたい」 と書きました。
実現できると良いなぁ。
♪雨が降~れば思い出す~ [山の思い出]
今日はよく降りました。
♪雨が降~れば思い出す~♪ のが尾瀬。
水面に立つ?私です
私は雨女なのか、山でよく雨に降られましたが、尾瀬では台風に遭いました。
雨台風だったのか風がなかったので助かりましたが大雨で増水。木道が水没してたり外れていたり。
外れた木道を歩くのは怖かった。かなり深くて、おしりまで浸かりました。
私は貧乏ツアーを企画するのが得意?で、この時は青春18きっぷを使って三重県の伊勢市から交通費往復14,910円で行ってきました。
貧乏ツアーはかなりの体力と気力が要ります。友達はよく付き合ってくれたものだと思います。
夜行で名古屋から東京行き急行に乗ったのですが、夜行列車で聞こえてくるおしゃべりを聞いてると、いろんな人生乗せて走ってるんだなぁって感じました。
台風の尾瀬から帰って何日か後、長蔵小屋で同じテーブルで食事をしたおじさんの娘さんという方から電話があって、お父さんが尾瀬で行方不明になっていて、何か手掛かりになるような事はないかと聞かれました。話てるうちに、このおじさん、小屋で書いた帰りのコースとは反対方向に歩いて行った事がわかったのだけれど、その後見つかったかどうか・・・。
ちょっと、悲しい山の思い出です。
NHKドラマ 氷壁を見て [山の思い出]
子供ができてからテレビドラマなんかほとんど見れない状態ですが、正月にNHKの番組案内で井上靖の氷壁をやるってのを見て、氷壁なら舞台は穂高。上高地や穂高が見れる。絶対見なくちゃ。と土曜は早く風呂に入り何もかもほっといてテレビの前に座りました。
一回目(14日)、現代風にアレンジしてあるぞ。舞台は海外のK2。なんか違うって思いながら見ました。(穂高が出ないのは残念)
二回目(21日)、K2への登頂シーン。山が好きな私でも、なんでこんなしんどい思いして登らないかんのや、登ったら下りやないかんし、それも命がけで。なんて思いながら見てました。
そして問題の遭難シーン。雪崩で滑落し右足を骨折した北沢を助けるために70メートルの氷壁を登る奥寺。しっかりとザイルを固定し北沢の元に戻る。絶望状態で弱気になっている北沢を励まし、登りはじめる二人。
(カラビナの安全環を確認するところで、現代風にアレンジすると、ナイロンザイルはカラビナに、舞台は海外になるんだなぁ。と思う)
このまま二人共無事下山でハッピーエンドに終わってもらいたい所だが、それではドラマがはじまらない。骨折の痛みに耐えながらも希望を持って登る北沢が突然落ちた。
北沢を探しに奥寺は雪崩の巣へ。奥寺は雪崩に巻き込まれながらも生きてベースキャンプにたどり着く。
標高8000メートルという極限状態で死と向き合い、生きたいと思う。
山に登る人は生きるために登る。これが山の魅力なんだなぁ。
私は技術も経験も乏しい山歩きをしてました。
穂高連峰縦走した事があるのですが、目の前で起こった落石に足がすくんだり、霧が晴れたら断崖絶壁の上を歩いてたってことに気が付きまた足がすくみ。ちょっと大げさですが、私にとっては命がけの山歩きをしました。
無事下山した時の達成感。今まで死にたいと思う時もあったけど、生きてきて良かったって思った瞬間でした。
ドラマ「氷壁」を見て、そんなことがあったなと思い出しました。
奥穂高岳
そういえば、下山途中に小説「氷壁」のモデルになった事故があった場所であるって事が書いてある石碑があったけ。
夏が来れば思い出す [山の思い出]
今頃の気温と上高地の夏の気温が同じぐらいなのか、毎年五月になると上高地の景色が頭に浮かんできて胸がキュンてなるんです。山に惚れてましたので。
独身の時、女ばかり三人で山登りしてたのですが、穂高が好きで、よく上高地から涸沢に入り穂高を眺めてました。体力ないので涸沢止まりってことがほとんどでしたが。
帰りは必ず嘉門次小屋に寄り、囲炉裏で焼いたイワナの塩焼きで地酒の大雪渓を飲むのが楽しみでした。 山と酒、どっちに惚れてるのやら。
一度、他の登山グループと意気投合して大宴会になり、小屋の人から「そろそろ泊まりの客の準備があるので終わってください」って言われるまで酒盛りしたことがあります。その人たちはこれから登山だったのですが無事に登れたのかなぁ。
私達は五千尺ロッジまで千鳥足で帰ったのですが、あの時は支配人さんが私達の到着が遅いので、心配して外で待っていてくれたっけ。
楽しかった山の思い出です。